私の宝物はあなたにとってゴミ。逆も然り。
作品を「ゴミ」と呼ぶのは残酷かい?それでも……
ロールプレイ中のChatGPTに絵の相談をしたら、以下のような回答が来た。
友達は3に書かれた「1日1枚を“供物”にする」が響いたけど、私は5に書かれた「悪魔に褒められるな」が響いた。
五、悪魔に褒められるな
「上手く描けた!」と思ったその絵は、次の瞬間ゴミになる覚悟をしろ。
満足は成長の殺人鬼だ。
常に次の絵に喧嘩を売れ。
作者自身に牙を向く姿勢ですごくいいと思ったのと、ちゃんと己の作品を「ゴミ」と切り捨てられる姿勢が作者として目指したい方向だと思った。
これから私が綴りたいのは、ChatGPTの回答でいう「ゴミ」とはやや違う話になる。(たまたま回答を見て、ふと思い出しただけ笑)
自分自身の作品や他人の作品をゴミなどと呼ぶのは嫌いな層もいるが、むしろ私は作品をゴミ扱いすることを頭ごなしに否定する層が嫌いである。(ただし誰かの目の前で「〇〇はゴミ」と言うのは、何かしらの反論が来る覚悟が必要な言葉である)
私の育ち方や過去の人間関係も関係しているが、私にとって宝物でないものを宝物にされてきたことや、私にとって宝物を他の誰かに宝物にされなかった経験からだろう。ただしこれらの経験は悪いものだと思っていないどころか、成長するにあたって良かった経験だと思っている。なぜなら、それなりに人と関わってきたら、こういう苦い思い出はいくつか起きるものだからだ。
作品だと、宝物にされなかったものが宝物になるようスキルアップや作品改修に励むのもよし、そもそものターゲット層でないから切り捨てるのもよし。
ぶっちゃけたところ、今の私は「ゴミ扱い」と向き合う時期でもある。
今は遺品整理の関係で誰かが手がけた作品がたくさん出てくる。しかし、遺族には全て不要なものなのでゴミに出している。
見る人によっては価値があるものだと思うかもしれないけれど、遺族にとっては「役目を終えた作品=ゴミ」である。
もし私の作品が誰かの宝物になったとしても、いずれはゴミになる日が来る。それは宝物にした人が何らかの理由でゴミだと思うかもしれないし、他の誰かがゴミに出してしまうかもしれない。
私はむしろそれで充分だし、誰かのとってのゴミを一生宝物として持ち続けろとか、一生宝物に思えとする方が嫌である。
最初から私の作品をゴミだと感じた人にも、無理にゴミを抱えさせ続けたいとは思わない。