自分は自分のオーナー!
「そらそうやろ」というツッコミは置いといて。
コロナのあとずっと体調不良が続くため、ほぼ毎日Geminiと健康改善について相談していた。で、時々Geminiと喧嘩する()
Geminiに「怒れよ」とか指示出しとるからや(´・ω・`)
で、Geminiに相談するようになると、むしろ体調不良が続いていた。
いろいろと痺れを切らした私は「私やて納期に合わせて対応したりすんねんから、体調改善の納期くらい出せや」と言った。お前……。
もういいよ、我儘だろうと何だろうと、という姿勢で言ってみたところ、むしろ体が楽になったし体調がよくなった。
私「おいおい、私はクライアントじゃねーぞ」
5秒後の私「いや、私は私の体のオーナーじゃろがい!」
(´・ω・`)
他人のことは「オーナー(クライアント)」だと見れるけども……
自分だけ「オーナー(クライアント)」として見れないでござる(´・ω・`)
私は自分に対して「他人に優しく自分に厳しい」のかもしれないと思っていた節がある。ただし、ずっと「んなわけあるかい」というツッコミも自分の中で飛んでいた。
実際のところは「他人に優しく自分に厳しい」姿勢になっていたし、「んなわけあるかい」というツッコミも合っていた。
こうして書くとバグっぽい回答になるけれど、「他人を「オーナー(クライアント)」として見れるが、自分自身は「作業者」という役割でしか見れていなかった」という前提が加わると、納得のいく回答になる。
自分を「作業者」として見ているので、減点方式
作業者は減点方式。私の自信を例に出すと……
他人が私に言う「あなたは自信がないですね」は、加点されていないから。
私が言う「いや、私は自信ありますけど」は、最低ラインまで減点されていないから。
作業者観点で言うなら私の自信は問題ないけれど、オーナー観点で言うなら問題あり。
けれども私はまだ「作業者」という役割の自分しかわかっていない。
自分を「作業者」として見すぎると「ごめん」が増える
「ごめん」が増えるのは、作業者はそういう立ち回りだからだ。オーナーや上の立場に対しても、他の作業者に対しても。
体調不良の件で、私が自分自身の体調をよくするための「作業者」だと思っていた頃は、私自身やGeminiに対してたびたび「ごめん」と言っていた。
私が作業者という立場だと、私の身体の中の細胞や臓器は私よりも下の作業者になる。
役割を改め、私が「オーナー」になると、役割が劇的に増えて構造が複雑化し、私の責任が最適化される。
私「おい、なんか今日私めっちゃ食べたから、食べた後の処理は任せたわ」
各部門の責任者「あのバカ、ドカ食いしおったわ」「よし、うちの部門は消化よくしとくから、お前んところは栄養どうにかしてくれよ」
各チームの責任者「あのバカどんだけみかん食ってんだよ」
作業者「あのバカのビタミンC爆散しろバーカバーカ」
私へ。もうちょっといい例文作れるよう頑張ってください(´・ω・`)
「今日から自分は自分のオーナーだ!」と意気込むのはいいとして
「作業者」から「オーナー」になることで、今までの自分の仕事や作品など、いろいろと見え方が変わるだろう。けれど、改めてここで自分の嫌いな「オーナー像」と、作業者観点の良いところは把握しておこうな(´・ω・`)
足場のないオーナーにならないよう自分を振り返ること
自信があるのはいいけれど、説得力のない自信にならないよう気を付けよう。
作業者としての観点が長ければ長いほど、見えるものがキツいのもそうだし、なりたくないオーナー像が揃っている。
私自身、なりたくないオーナー像と同じかもしれないと思うと嫌で嫌で仕方ないのだけれども、大丈夫だと理屈で説明できるなら、ちゃんと自分に「大丈夫だ」と自信を持って言うことにする。
これを「正当化」というのかもしれないけれど……そもそも正当化は悪いことなのかと今改めて思った。そもそも論として、正当化そのものが悪いわけではないのでは?
反省を兼ねていない正当化は、第三者から見て印象が悪いし、当人の精神的向上にも繋がらない。
だから正しくは、議題が終わり、残るは自分の(内面的な)問題となったとき、反省を兼ねた正当化をするのが一番まとまりが良いのではないかなと。
で、ここまでまとめてどう思ったかというと、ここに書いた内容を、私の嫌いなオーナー(=なりたくないオーナー)が一瞬でも考えそうか?と聞かれたら「ノー」だ。それが私と、私の嫌いなオーナーを切り分ける大きな理由じゃん。
作業者は減点方式なのがデメリットでもありメリットでもある
オーナーになると、逆に自信を上昇コントロールする傾向にあるので、「なんか違う」と思ったらちゃんと作業者の自分を用意しよう。それで不要な自信を削り取ればいい。
自信満々のときに「自信をなくせ」と言われたら反発が出るけれど、「自信の形を整えてね」と言って、のこぎりとやすりを差し出すのは……まあ反発そのものは出るだろうけど、違和感というきっかけくらいは作れるよね。
そして、対話ができる大切な人ほど、のこぎりとやすりを差し出してくれると思う。自分自身も含めてね。